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東京高等裁判所 平成7年(ネ)4043号 判決

控訴人(被告) 三洋証券株式会社

右代表者代表取締役 池内孝

控訴人(被告) 伊藤博元

控訴人(被告) 田中雅紘

右三名訴訟代理人弁護士 増澤博和

同 平野雅幸

同 吉村正貴

同 菊島敏子

被控訴人(原告) 岩畑吉保

右訴訟代理人弁護士 渡辺征二郎

主文

一  原判決中、控訴人らの敗訴部分を取消す。

二  前項の取消部分に係る被控訴人の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。

事実及び理由

一  控訴人らは「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

二  当事者双方の主張は、原判決事実摘示記載のとおりであるから、これを引用する。

三  証拠は、原審及び当審記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

四  当裁判所は、被控訴人の主位的、予備的請求はいずれも理由がなく、これを棄却すべきであると判断するが、その理由は以下のとおりである。

1(一)  本件の主位的請求は、原判決二丁目裏三行目から三丁表四行目に記載のとおりであり、第一に、被控訴人が、平成二年三月一三日午前一〇時ころ、控訴人三洋証券株式会社徳山支店(以下「控訴人徳山支店」といい、控訴人三洋証券株式会社を指す場合は「控訴人会社」という。)の外務員である控訴人田中雅紘(以下「控訴人田中」という。)に対し、日本化学工業の株式二〇万株の売り注文を出すよう依頼したのに、同控訴人は、やはり控訴人会社の外務員である控訴人伊藤博元(以下「控訴人伊藤」という。)と共謀の上、この売り注文を執行しなかったため、被控訴人は損害をこうむったとして、控訴人らに対して、不法行為に基づき右損害金二億四五八一万九五五二円の賠償を請求するものであり、第二に、控訴人伊藤及び控訴人田中は、同月一三日に日本化学工業株三万四〇〇〇株、同月一四日に同株五万株を被控訴人に無断で買い付けたとして、主位的には不法行為に基づき、予備的には同取引は被控訴人に帰属しないとして、控訴人会社に返還を求めうる金一億〇八七七万七九三六円を請求しているものである。

(二)  控訴人らは、右被控訴人の主張を全面的に争っているところ、当事者双方の主張を認めさせる証拠は、被控訴人側では、甲第七号証(陳述書)並びに原審及び当審における被控訴人の供述(以下、これらを併せて「被控訴人の供述等」という。)、控訴人ら側では、乙第一号証(陳述書)並びに原審及び当審における控訴人田中の供述(以下、これらを併せて「控訴人田中の供述等」という。)、乙第九号証(陳述書)及び原審における控訴人伊藤の供述のみである。そこで、以下、この両者の供述等の信用性に焦点を当てて検討する。

2  原判決記載の争いのない事実(原判決三丁表末行から四丁表七行目)及び甲第三号証、第六ないし第七号証、第一一号証、乙第一ないし第九号証、第一七号証の一ないし四、第一八号証の一、二、第二二号証の一、二、第三五号証、原審における控訴人伊藤の供述、原審及び当審における控訴人田中、被控訴人(一部)の各供述によれば、本件の基本的な事実関係は次のとおり認められ、被控訴人の供述等中、次の認定に反する部分は採用できない。

(一)  被控訴人は、昭和三五年ころから株取引をし、相当利益もあげていたところ、昭和四〇年不況で大きく損を出したので、一時中断し、その後また再開していた。再開後の控訴人会社との取引は、昭和四五年ころ、呉第一証券に勤務していた控訴人田中を知り、昭和四六年ころ控訴人田中が控訴人会社に異動した後、昭和五六年ころから、控訴人田中との付き合いで少額の現物取引をしており、信用取引については、本件以前は、昭和六三年六月ころ京成電鉄株を取り引きし、約一七五六万円の利益を上げたことがあっただけであった。

平成二年三月九日、被控訴人は、当時取引をしていたウツミ屋証券で損を出したことから、同証券会社から時価約四億円の証券類を引き出し、控訴人会社に預けるつもりでこれを控訴人徳山支店に持参した。

(二)  控訴人伊藤は、控訴人田中と共に、控訴人徳山支店所属の外務員であるが、控訴人伊藤は控訴人徳山支店の外務員としては、平成二年当時、売上成績は一位であり、控訴人会社全体でも十指に入る成績をあげていた。そして、平成元年四月ころから日本化学工業の株を熱心に研究し、顧客に対しても勧めていた。この日本化学工業の株価は、平成元年九月五日に単価一〇六〇円を付けた後急騰し、同年一二月一五日に二五六〇円まで上昇し、その後一時動きが止まったものの、平成二年三月初めころから再び急騰を始め、平成二年三月一三日に三四一〇円の最高値を付けていた。

(三)  このように、平成二年三月九日(金)は、日本化学工業株の株価は上昇中であったが、控訴人伊藤は、被控訴人が控訴人田中に前記約四億円の証券類の投資等について相談しているのを聞き、控訴人田中の顧客ではあったが、被控訴人に対し日本化学工業株を推奨した。この控訴人伊藤の推奨があったため、被控訴人は、同日、日本化学工業株を一〇万株買い付け、さらに、翌一〇日(土)控訴人伊藤と控訴人田中が、被控訴人宅を訪れ、日本化学工業株の買い増しを勧めたので、この勧めに従い同月一二日(月)追加一〇万株を買い付けた。

(四)  同月一三日(火)、被控訴人は、午前九時二〇分ころ、控訴人徳山支店に赴き、午前一〇時ころ、前示購入した二〇万株の内三万株を現引きすることとし、代金九七〇〇万円を、妻に指示して、控訴人会社の口座に振込入金させた。

(五)  前同日午後、控訴人田中が、被控訴人の名義で、日本化学工業株三万四〇〇〇株について買いを成立させた。

(六)  同月一四日(水)、前場において、控訴人田中が、被控訴人からの注文によるとして、伊藤の顧客である他者の名義で買いが成立していた日本化学工業株五万株を、被控訴人に割り付け、買い付けを成立させた。

(七)  同月一六日(金)、日本化学工業株の株価は、前場の寄り付きから暴落を始めた。なお、同株価は、翌週一九日(月)、二〇日(火)と連続して暴落した。

(八)  同月一七日(土)、被控訴人は西岡昭三弁護士を訪れ「株を無断売買されたがどうしたらよいか」との相談をしたが、同弁護士からは、立証ができないと言われ、異議を申立てることをあきらめた。

(九)  株価の下落に伴い、同月二〇日には信用取引保証金が不足となったので、被控訴人は、控訴人田中の要請に従い、同月二三日、山一証券に保護預りとなっていた東急電鉄株六〇〇〇株を同証券から引き出してきて、これを追い証(信用取引保証金代用有価証券)として控訴人会社に差し入れた。

(一〇)  同月二七日、被控訴人は、信用建株の全部二五万四〇〇〇株を控訴人会社に、時価である同日(前場)の終値二〇四〇円で売却した。これにより、被控訴人の損失は三億五四五九万七四八八円と確定した。なお、同日、被控訴人は、控訴人徳山支店において、控訴人伊藤を殴りつける暴行を働いている。また、同年四月二日、被控訴人は残高照会回答書を、同年三月三一日現在で作成して控訴人会社に交付したが、同書面中には、同日現在の信用建株が存在しない旨の記載がある。

(一一)  同月二八日、精算をするため被控訴人が控訴人徳山支店を訪れ、その際初めて被控訴人は「三月一三日に全株売却の指示を、手振りで出した」と言ったが、田中はこの日に売り注文を受けたとの記憶がなかったので、その旨答えたところ、被控訴人はそれ以上控訴人田中を責める等の言動には出なかった。また翌二九日、控訴人田中は、控訴人会社の永島本部長と共に、被控訴人宅を訪れたが、その際にも被控訴人から、注文したのに売らなかった等の異議は出なかった。

(一二)  平成三年七月一〇日ころ、新聞等において、某社株の株価操縦がされたとの報道があり、被控訴人は「本件もあきらめるものではない、本件の日本化学工業株の場合も株価操縦に当たるのではないか」と考えて問題にし始め、控訴人田中を通じて控訴人会社と交渉を始めた。

(一三)  平成三年七月二三日、被控訴人は、控訴人徳山支店内において、控訴人伊藤に対して殴りつけるなどして傷害を負わせ、後日懲役刑(執行猶予付き)の有罪判決を受けた。

3(一)  ところで、被控訴人は、前示三月一三日に売り注文を出したときの状況について、要旨次のとおり供述している。

この日は、前日の株価の動きから、被控訴人は、株価が値下がりするのではないかと考え、朝急いで控訴人徳山支店に赴いたが、心配するような株価下落という状況にはなかったので、安心し、しばらく見ていた後、当初の考え通り、株を売却して手仕舞うこととした。そこで、同支店内の自席にいた控訴人田中の後ろから、背中をつついて注意を促し、横から「全部三三七〇で売っとけ」と耳元にささやいた。すると田中は「はあっ」と言ったので、今度は指で三、三、七と示したところ、田中は「はい、わかりました」と答えた。それから「三万株を現引きするから、妻に電話をしてくれ」と言って田中に電話をしてもらい、妻に九七〇〇万円を送金させた。その後控訴人徳山支店を出て仕事に行き、当日は次のとおり控訴人田中を同支店に送った以外は、同支店に行ってない。

当日午前一一時三〇分ころ、被控訴人は再度控訴人徳山支店に赴こうとした際、偶然街で控訴人田中と会い「売れたか」と聞いたところ「売りムードでない。売ってない」と言ったので、「すぐ売れ」と言い、控訴人田中を連れて敦煌に食事に行った。敦煌でも「何で売らない」と聞くと「まだ強気むんむんで、伊藤さんもあかんというし」等というので「何で売らないのか」と強く叱った。そして「昼から売っておけ」と言って、控訴人田中を控訴人徳山支店まで送り、自分は店内に入らず仕事に行った。

(二)  これに対して、控訴人田中は、要旨次のとおり供述している。

当日、被控訴人は朝一〇時ころから控訴人徳山支店に来て控訴人田中の近くの椅子に座って値動きを見るなどしていたが、そのうち、三万株を現引きするから家に連絡してくれと言ったので、被控訴人の自宅に電話をした。被控訴人は、その電話で、妻に「九七〇〇万円をすぐ送金しろ」と指示していた。売り注文は受けなかった。被控訴人が、その場で売り注文を出したと言い出したのは、同月二八日になってからのことである。また、街で偶然被控訴人と会い、敦煌に食事に言ったのは、翌一四日の昼のことである。

(三)  このように当事者の供述は、被控訴人が三月一三日に売り注文を出したかどうかの点及びこれを推認させる事情として「敦煌」での食事の日付の点で全く食い違っており、右両者の供述等以外の客観的な証拠はない。そこで各供述等を検討してみると、

(1) もし仮に、被控訴人の供述どおり売り注文があったのであれば、被控訴人も供述するように「相場は速いテンポ」で動くのであるから、控訴人田中は直ちに注文伝票を作成し、被控訴人の売り注文をオペレーターに取り次ぐ必要があったはずである。しかしながら、右売り注文の後控訴人田中がそのような行動をとったことについては被控訴人の供述にも、控訴人田中の供述にも全く出ていないのであるから、控訴人田中は注文伝票を作成するという行動をしなかったものと考えざるを得ない。ところが、被控訴人は、その場にいて、このように控訴人田中が被控訴人の注文を取り次ぐ手続をしようとした形跡がないのに、異常を感じた形跡はなく、その場で控訴人田中に注意したりしたこともないし、田中が売却手続をとったかどうかを確認することもなく、妻に送金させるために電話をかけるようにとの次の指示をし、この電話後同支店を立ち去っている。被控訴人の供述によれば、三〇年間株取引をしていて注文を出したものを営業員が執行しないということはあり得ないことというのであり、甲第七号証の陳述書においても注文を執行しないというのは「全く異常なこと」と記載しているのであるから、このような異常な事態について、株取引経験の深い被控訴人がその場で気付かないということも考えがたいのであって、それにもかかわらず、前記のように何の紛議もなしに被控訴人が控訴人徳山支店を立ち去ったということは、逆に、被控訴人はそのような注文は出していないのではないかと考えられるところである。

(2) 前示のとおり、被控訴人が当日三万株を現引きしたことは証拠上明らかであるが、この点に関し、被控訴人は、右現引きは売却の際の課税額が、信用取引のまま売却するのと比べれば極めて安くなるからしたものであって、このことは被控訴人が株の売却を考えていたことを推認させるものであり、さらに被控訴人が全株の売却を指示したことをも推認させる事実であると主張する。しかしながら、原審における被控訴人及び控訴人田中の供述によれば、現物で売却すれば課税額が安くすむことはそのとおりであるが、だからといって、現引きした残りの一七万株を信用建株のまま売却する(反対売買する)とは限らず、更に課税額を安くするためには、右現物を売却し、その代金でさらに信用建株の一部を現引きしてこれを現物で売却する方法が当然考えられるのである。控訴人田中は、この事情について、仮に、三月一三日に全部売る注文が被控訴人から出ていれば、そのとき節税を主たる目的とする三万株の現引きがあったのであるから、残一七万株の節税等も当然考えざるを得ず、その確認を被控訴人にする必要が生じたはずであると供述しているが、これは右の検討と合致しており、信用性の高い供述であると考えられる。そこで、このような方法がありうる以上、右三万株の現引きの事実から、被控訴人主張のように当日の二〇万株全部の売却指示が推認できるとは到底いえないのである。また、当日九七〇〇万円の現引き代金を送金していることから、これは当日の売却指示を推認させる事実であるとも主張するが、現引きの代金は四日以内に支払えばよいのであるから、この送金は、どちらかといえば、預金金利と信用取引の金利との差損を一日でも少なくしようとしたものではないかと考えられるところであり、少なくとも、当日送金がされたからといって、当日売却指示があったと推認することはできないというべきである。

(四)  このような検討の結果によれば、右三月一三日の売り注文についての被控訴人の供述には相当の疑問があるといわざるを得ないのである。

4(一)  次に三月一三日と一四日の合計八万四〇〇〇株の無断買付けについて検討すると、被控訴人は、要旨、次のとおり供述している。

三月一三日、同日の場が閉まった午後三時過ぎころ、控訴人田中から電話を受けたので、自分の売り注文が執行されていると考えて「どれだけ儲かったか」と聞いたところ、控訴人田中は「伊藤は売る気がないから売ってない。三万四〇〇〇株買っておいた」と答えたので、びっくりして「ばか、なぜ売らない。すぐ売れ」と怒った。そして、さらに、同日夜、控訴人田中の家に電話をし「明日売っておかなければ承知しないぞ」と言った。

三月一四日、被控訴人は自分の仕事をしていたが、午後二時三〇分ころウツミ屋証券に赴き株価を見たところ、被控訴人の指し値である三三七〇円を上廻っていたことから、被控訴人は当然持ち株が売れているのではないかと考え、相場が終わった後控訴人田中に電話をしたところ、控訴人田中は「三三三〇円で引けているが、伊藤から三三〇〇円で五万株もらっておきました」と言っていた。被控訴人は怒って「とぼけたことを言うな」などと控訴人田中をなじったところ、その後控訴人伊藤からも電話があり「あなたを儲けさせるんだ。好意でやっているんだ」と言っていた。

(二)  これに対して、控訴人田中は、要旨次のとおり供述している。

三月一三日午後、被控訴人が再度来店し、控訴人田中に対し「信用取引保証金の金額から計算して、後どのくらい買えるか」というので、八万株位買える旨の報告をすると、三三〇〇円で八万株の買い注文を出しておけとの注文を口頭で受けたので、注文伝票(乙第一〇号証の一)を作成して注文を取り次いだところ、内三万四〇〇〇株が買えたので、その場にいた被控訴人にその旨口頭で報告した。そして、内出来だが後をどうするのかと聞いたところ、被控訴人は「下支えになるから、少し安い三二七〇円で買い注文を出しておけ」と注文を出したので、控訴人田中は、翌日の朝に出す注文伝票をその場で作成した。

翌一四日の朝、三二七〇円の被控訴人の指値では買えなかったところ、控訴人伊藤から「三三〇〇円ならあるから、被控訴人に声をかけてみたら」と言われ、被控訴人に連絡し、承諾をもらって、再度注文伝票(乙第一〇号証の二)を作成し、三三〇〇円で五万株の売買を成立させた。なお、これは控訴人伊藤の客の注文によって買うことができていた株を、被控訴人の注文によって買うことができたものと、双方の了解のもとで、割り替えたものである。

(三)  このように三月一三日と一四日の買付けについて被控訴人の注文があったかどうかの点でも両者の供述は正面から食い違っており、この点についても、右各供述等以外に、これを認定させるに足る客観的証拠というべきものはない。しかして、

(1) もし仮に被控訴人の供述どおりであったとしたならば、被控訴人は、売り注文については、①三月一三日午前、②同日昼食時、③同日夕刻の電話、④翌一四日夕刻の電話、と四回の注文が全て無視されたことを知っており、さらに⑤三月一三日夕刻には三万四〇〇〇株を無断で買付けされたことを知り、⑥翌一四日夕刻にも五万株を無断買付けされたことを知ったことになる。そうであるならば、被控訴人は、三月一五日には、早朝から控訴人会社に強硬な異議申出をしたり、弁護士等の専門家に相談したりしてもおかしくないのに、この三月一五日は、やはり夕刻に控訴人田中に電話をし、控訴人田中や控訴人伊藤から、大引けにかけて株価が下がったことについて「心配はいらない」などと電話で言われ、それ以上の文句等はいわずに引き下がっているだけであり、被控訴人が弁護士に相談に行ったのは、翌一六日から株価が暴落し始めた更に後の一七日のことである。なお、この弁護士に対する相談も数の少ない八万四〇〇〇株の「株を無断売買された」というものであって、数の多い二〇万株の株を売ってくれなかったというものではないのである。このような被控訴人の言動は、被控訴人の主張するところとは相容れないものであるといわなければならず、被控訴人の供述を疑わせるものである。

(2) 他方控訴人田中の供述によれば、被控訴人の指値によって買い注文を出したというのであるが、もし仮に控訴人田中らが被控訴人名義の無断売買をしようとしたのであれば、同日八万株全部について買い注文を成立させればよいと考えられるところであるが、そのようにはせず、内出来にしている。この点については、控訴人田中は、前示のとおり、被控訴人の指値による注文があり、三月一三日は三万四〇〇〇株の内出来となり、翌一四日に被控訴人の指値によって五万株の買い注文を出したが成立せず、被控訴人の指値よりやや高い三三〇〇円で五万株を控訴人伊藤の顧客分から割り替えてもらったと供述していて、この供述はその流れからしても自然であり、無断買付けをするのにわざわざこのような迂遠な手続をとるというのも考えがたいことから、控訴人田中の供述は自然で、信用性も高いものと考えられるところである。

(四)  以上のように、被控訴人が無断買付けであると主張する三月一三日と一四日の買付けについても、被控訴人の供述は疑問が多く、信用性に欠けるのに対し、控訴人田中の供述は信用性が高いといわざるを得ないのである。

5  さらに、売り注文の不執行や無断買付けがあったとする被控訴人の供述等については、次のとおり、その後の被控訴人の言動が、真実売り注文の不執行や無断買付けをされた顧客の言動としては理解が困難であることからも、信用性に欠けるといわなければならない。すなわち、被控訴人は、①平成二年三月二〇日に株価下落により担保不足となると、同月二三日、他証券会社に保護預かりとなっていた株六〇〇〇株を追い証として差し入れ、②同月二七日、信用建株の全部である二五万四〇〇〇株を当日(前場)の終値で控訴人会社に売却し、これによって三億五四五九万七四八八円もの損害を確定させ、③同月二八日右売却による精算のために控訴人徳山支店を訪れた際、控訴人田中に対して「三月一三日に手振りで売りを指示した」と言ったが、控訴人田中がその記憶はないと答えたのに対し、それ以上控訴人田中の責任を追及する等の言動に及んでいないし、④同月二九日にも、控訴人田中が控訴人会社の永島本部長とともに被控訴人宅を訪れた際にも、売り注文不執行等の異議を述べておらず、⑤同年四月二日には、三月三一日現在の信用建株が存在しない旨の記載のある残高照会回答書を異議なく作成して控訴人会社に差し入れ、⑥平成三年七月一〇日ころ株価操縦がマスコミで取り上げられるまでは、本件を問題にすることなく放置していたのであって、このような被控訴人の言動は、売り注文を不執行され、無断買付けをされた顧客の言動としては、到底理解が困難であるといわざるを得ないのである。

6  被控訴人は、控訴人伊藤が、日本化学工業の株の売り注文を執行してくれなかったと主張していた松浦敞子(以下「松浦」という。)との間で、その主張を認める内容の和解をしており、これは控訴人田中の本件売り注文不執行や無断買付けを推認させる事実であると主張する。しかして、

(一)  甲第一二ないし第二一号証、乙第一一ないし第一六号証、第二〇、第二一、第二三ないし第二六号証、第二七号証の一、二、第二八ないし第三二号証、第三三号証の一、二、第三四、第三六号証、原審における控訴人伊藤の供述、原審証人松浦、当審証人小島初男の各証言によれば、原判決記載のとおり、控訴人伊藤と松浦との間では、松浦が、平成二年三月九日、一二日、一三日に同人所有の日本化学工業株四万株の売り注文を出したのに、控訴人伊藤がこれを執行してくれなかったとして、また同月一四日及び一五日に控訴人伊藤が松浦に無断で日本化学工業の株八万株を買い付けたとして紛争になっており、両者の間で、平成二年七月二六日付の合意文書(甲一二)を作成して紛争を解決したこと、同書面中には、控訴人伊藤は、右四万株は松浦の主張する売却依頼時の単価三三八〇円で売却し、その余の同株については松浦に関係がないこととし、その余の紛争分を含め、控訴人伊藤が松浦に示談金一億五二六八万〇六八五円を支払うこととしたとの和解条項が記載されており、この示談金がそのころ松浦に支払われたこと、この示談金は、その後、平成三年四月四日控訴人伊藤において控訴人会社から立て替えてもらった形式をとっていること、以上の事実が認められるのである。

(二)  ところで、前掲乙第九、第二三、第二四、第三四、第三六号証、原審における控訴人伊藤の供述及び当審証人小島の証言によれば、松浦と控訴人伊藤との前示和解については、これが松浦の主張を控訴人伊藤が認めた上でされたものかどうかについては疑問もあるのみならず、その点をおくとしても、この和解は控訴人伊藤が松浦との間でしたものであって、これが被控訴人に係る本件控訴人田中の売り注文不執行や無断買付けと直接つながるものではない。この点に関し、被控訴人は、当時控訴人伊藤は日本化学工業株を強く推奨しており、控訴人田中も、この控訴人伊藤の意向にしたがって右不執行や無断買付けを行ったものであると主張し、被控訴人の供述中にはそのように推認できる旨の部分がある。しかしながら、前示のとおり控訴人田中は被控訴人とは以前からの知り合いであるのに、控訴人伊藤は平成二年三月九日に初めて被控訴人と会ったにすぎないのであり、またこれまで控訴人田中が被控訴人に対して日本化学工業の株を推奨したことはない(のみならず、控訴人田中が被控訴人に対して積極的に株取引を勧めたことがあるとも認められない)のであって、このようにそれまで控訴人伊藤との関係でも、被控訴人との関係でも、それほど熱心というわけではなかった控訴人田中が、被控訴人と控訴人伊藤が知り合ったとたんに控訴人伊藤の言いなりになり、三月一三日午前には、すぐ横にいた被控訴人の明示の売り注文を無視してこの不執行をし、さらに同日午後と翌日午前には被控訴人に無断で多額の買付けをするという明らかな不法行為をし、しかもその不法行為はそれだけでやめてしまうというのも、あまりに唐突な出来事であって、理解が極めて困難である。

結局、控訴人伊藤と松浦の和解の成立及び内容は、本件被控訴人と控訴人らに係る紛争事実を認定するためには役立たないものといわざるを得ない。

7  以上によれば、被控訴人の主張する平成二年三月一三日の日本化学工業株式二〇万株の売り注文については、これを認めることができないものというべきであり(なお、被控訴人は、手振り等によって控訴人田中に対し売り注文を出したなどと種々主張するが、本件全証拠によっても、右株式二〇万株につき被控訴人が少なくとも確定的で明確な売り注文の意思表示をし、これが控訴人田中に伝達された事実を認めるに至らないものというべきである)、また、同日及び翌一四日の日本化学工業株式合計八万四〇〇〇株の被控訴人名義の買付けは、被控訴人の買い注文によってなされたものであり、これが無断買付けであったということはできないといわざるを得ない。結局、被控訴人の主位的請求はいずれも理由がないといわざるを得ない。

8  被控訴人の予備的請求は、原判決三丁表六行目から九行目までに記載のとおり、控訴人らが共同して日本化学工業株を人為的に変動させ、その結果被控訴人に損害をこうむらせたというものであるところ、本件全証拠によっても右事実を認めることはできないというべきであり、被控訴人のこの請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

五  よって、被控訴人の請求は、主位的請求も、予備的請求も理由がないので、原判決中、控訴人田中及び控訴人伊藤の各勝訴部分を除いた部分を取り消して、同取消部分に係る被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について、民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 宍戸達徳 裁判官 佃浩一 裁判官伊藤瑩子は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 宍戸達徳)

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